この週末は、ミニ県政報告会を行わせていただいたり、
それぞれの地域の会合にお邪魔させていただきました。
振り返ると、連休明けの先週から今週は行事が多く、
あっという間の2週間だった気がします。
そんな中、先日の火曜水曜と視察にお邪魔した
陸上自衛隊第12旅団での体験やお話が脳裏から離れないでいます。
群馬県の高崎市にある12旅団は、万が一東海地震が発災した場合、
私たちの掛川市を始め、袋井や菊川などの近隣地域の救援を受け持って下さいます。
発災後約2時間で先遣隊が到着し、エコパを拠点に救援活動を展開していただく計画なのですが、
問題点や課題はないのか、受け入れる掛川市への要望がないのか、
事前の視察を兼ねて様々な意見を伺ってきました。
その折、夜の懇親会でお向かいでご一緒させていただいた
國友幕僚長のお話が頭から離れないでいます。
幕僚長は、東日本大震災発災時、いち早く隊員を率いて現場に駆けつけ、
震災直後の混乱の中、現場で約950名の隊員の陣頭指揮をとられました。
そして、宮城県で救援活動をしているさなかに津波が押し寄せて来たのだそうです。
―「その時隊員はどうなったと思います?」―会話の最中の突然の質問に、
恥ずかしながら「逃げるんではないんですか?」と軽率にも答えてしまいました。
「その時、隊員は身動き一つせず固まってしまったんです。 ・・・
そして私の指示を待つべく、私を凝視するんです。」
思いがけない答えに言葉が詰まってしまいました。
小考し、「・・・それで・・・、幕僚長はどうされたんですか?」
「津波から逃げ惑う人達の方に向かって、
『 ”行け―!!” 』と、『あの人達を助けに行くぞー!!』と、叫びながら指示を出しました。・・・」
・・・。
このお話を皮切りに、この後、凄まじいほどの現場での体験談を伺い、
ただただ胸が詰まる思いばかりしていました。
この國友幕僚長率いる第12旅団950名の隊員によって、
約4,700名の方々の命が救われました。
隊員の中には、自らも津波に流されながら8名の方々を救い出した隊員もいらっしゃったそうです。
東日本大震災では、陸海空の自衛隊員によって約19,000名もの方々が救済されたと言われています。
あの震災の現場では、言葉に尽くせない様々な出来事があったのだと思います。
改めて今の自分は何をすべきで、何が出来るのか。
問い質さずにはいられない体験談でした。